退屈な夜長に御伽噺をどうぞ

未来の小説家が、退屈を紛らわせるような小説を書いています!

スタースマイル

「お世話になりました」

 十五年間勤めた会社の最後は、普段通り仕事を終えたという、小さな達成感と大きな疲労感に包まれたものだった。

 これからすることがある。それは分かっている。しかし、今の自分には向かっていける程の気力はなかった。

 

 

 新卒から15年間勤めた物流会社。就職氷河期だった当時に自分を拾ってくれた。それだけでなく、若いうちから様々な仕事を任せてくれた。

 就職活動をするまで興味を持つことのなかった物流業界だが入ってみると楽しかった。モノをつくる人とモノを売る人、その間をつなげる仕事。社会を支えている仕事。普通に生きていては見ることのできない裏側を見ることができた。

 そんな経験ができた会社だが、このまま勤めていった三十年後が見えてしまった。その答え合わせに自分の人生を使いたくない。

 もちろん会社には感謝している。しかし、本気になれるものが欲しかった。

 

 プペルバスを知ったのはそんな時だった。

 昔から好きだったキングコング西野亮廣さん。

 Youtubeにあがっている動画など追える情報は追いつくして、さらに興味があったのでオンラインサロンに入った。

 そこには毎日記事が投稿されている。その内容は世間でやっているエンタメの裏側で、どんなことを考えているのかを知ることができる。私は夢中になって、およそ二年分の記事を三日で読んだ。

 その中でプペルバスが出てきた。

 

 『えんとつ町のプペル』西野さんの描いた絵本。

 黄色い町明かりに照らされて、雑然と敷き詰められた建物が浮かび上がる。町のそこかしこからえんとつが伸びて、モクモクと黒い煙を吐き出している。そんな煙に覆われた空を少年とゴミ人間が見上げている。どれだけ叩かれても挑戦する二人を描いた絵本。

 絵本と言っても、絵描き歌で描けるような絵ではない。背景まで細かく描き込まれた絵画のような絵である。

 そんな絵だからこそ、絵本の絵だけの個展が成立する。絵本の絵をパネルにして、そのパネルを光らせる“光る絵本展”。

 

 その個展を全国に届けるバスがプペルバスだ。

 バスの車内のイスをすべて取り払って絵本パネルを飾っている。バスで移動して、行った場所で個展を開催する。こうすることで、病気などの理由で個展に来られない子どもたちに個展を届ける。

 子どもたちを笑顔にするためのプペルバス。それに強く共感した。

 

 バスでできることはトラックでもできるはず……

 

 気づいたらプペルバスの主催者の方にダイレクトメッセージを送っていた。

 

 

 

 返事が来ない。

 送ってから三日が経っていたが、返事は来ていなかった。

 考えてみればそうか。やろうとしていることはほとんど同じだから競合になってしまう。そんなものは受け入れられないよな……

 

 ピロン♪

 聞きなれているはずの通知音にとても驚いてしまった。

 

 返事が来た……

 

 おそるおそるメッセージを開く。

 

「はじめまして。お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。アプリの都合上、通知が来るのが遅れていました。お話は分かりました。プペルトラックが実現すれば子どもたちの笑顔がもっと増えるとおもうので、ぜひやっていただきたいです」

 

 緊張が緩み、膝の力が抜ける。

「よかったぁ」

 たっぷりと息が混ざった言葉がもれる。

 

 これで一歩前進だ。次は……

 

 

 

「………というわけで、全国に個展を届けるプペルトラックをさせていただきたいです。また、トラックなので実際に荷物を積んで、運ぶこともできます。自然災害が起きたときには救援物資を被災地に届けて、そこで個展をすれば、身体も心もケアすることができると思います」

 

私は緊張で声が震えるのを抑えながら、画面の中の男性に向かって話した。

 

「いいじゃん!やろう!」

 その男性は少年のように目を輝かせながら答えた。

 

 この男性が西野さんである。

 私は西野さんのコンサルを受けられるニシノコンサルを20万円で購入して、プペルトラックについて話した。

 昨日、別の人のニシノコンサルを見させてもらったときは厳しいことを言われていて、自分もこうなるのではないかと思い、とても怖かった。なので、許可をもらえて心の底からホッとした。

 

 すると、同席していた西野さんの女性スタッフが口を開いた。

「西野さんの持ってる絵本パネルを貸してあげたら?」

 

 …………!?

 

「使ってない絵本パネルが倉庫にあったはずだからそれを貸したらどう?置いとくだけじゃもったいないし」

「たしかに!そうしよう!」

 

 開いた口が塞がらない……。

後から話を聞いたら本当に口を開けて驚いていたらしい。ことわざというのはよくできている……。

 

 しかし、絵本パネルを貸してもらえるというのはとてもすごい話だ。

 元々、絵本パネルは購入する予定だった。それのサイズは30×30センチ。でも、貸してもらえるものは60×60センチの大きいサイズのもの。

 こんなにありがたい話はない。

 

 

 

 会社はつくった。あとは資金集め。クラウドファンディングで資金を集める。集まればスタートできる。

 脳裏に自分の子どもたちの顔が浮かぶ。

 

 

 私には小学五年生の双子と二年生の娘がいる。その双子は小さい体で産まれてきて、産まれてすぐに新生児集中治療室に入った。

 

 不気味な程白い部屋。物々しい機械が並んでいる。それらは産まれたばかりの赤子を入れた透明なケースを取り囲んでいる。

 その中で寝ている我が子は、点滴のために片腕を固定され、口からは呼吸器の管が伸びている。

 全て子どもを助けるためにあるのは分かっている。しかしいくら頭で理解しても、心のどこかにこびりついた不安はぬぐえなかった。

 

 大丈夫……きっと大丈夫……。日本の病院はちゃんとしてるから…。でも、万が一ということがあったら……。

 まだ小さいのに、なんでこんな大変な思いをしなきゃいけないんだ……。

 

 

 病院には、私の子どもたちみたいに辛い思いをしている子がたくさんいる。そんな子どもたちにこそ、笑顔と感動を届けたい。

 

 

 

 仕事を辞めて収入もなくなった。この先大丈夫だろうか……。

 

 そんなとき、いつも思い出すことがある。

 

 

 『えんとつ町のプペル』を読んでいる子どもたち。

「パパがプペルのトラックをつくったらどう?」

「カッコイイ!!」

 そう言う子どもたちの目には、星のような混じりけのない光が宿っている。

 

 みんなにこの笑顔を届ける。

 

 

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この小説は【あなたの人生を小説にする権】を高綱さんに購入していただき、執筆しました。

高綱さんは、現在プペルトラックを実現するためにクラウドファンディングをされています。

よろしければ高綱さんのご支援をお願いします。

t.co

 

海底の花火

スマホの電源を切る。タオルケットを鼻まで覆う。左半身を溶かすように布団へと沈める。縋りつくようにネコのクッションを抱きしめる。

 

朝七時。横になったまま、日当たりの悪い部屋の窓から、黄色い世界を見つめる。

隣の部屋のドアが開く。足音がドタドタと鳴る。洗面台で水が流れる。ガチャガチャと何かを取る音がする。足音が階段を降りていく。雨戸が開けられる。歩き回る音がする。鍵を開ける。ドアにつけられた鐘が鳴る。鍵を閉める。ガレージを開ける。車が走っていく。

母が仕事へと出かける音を、起きていると気づかれないよう、微動だにせず聞く。

 

朝九時。一階のドアが開く。祖母が起きた。

テレビがつけられる。そこからしばらくテレビの音しか聞こえなくなる。電話が鳴る。話し声が聞こえる。電話が切られて少し経つと、インターホンが鳴り祖母がデイサービスに出かける。

それを聞き届け、ようやく起き上がり一日がはじまる。

 

日中、家には俺以外だれもいない。現在、母と祖母と三人暮らし。俺が四才の時に父が死に、一昨年、祖父が亡くなった。姉は一人いるが、今は牧師になるため神学校に行っている。

我が家はクリスチャンだ。母に連れられて、俺も生まれた頃から毎週教会に行っている……いや、行っていた。

 

教会に行き続けているうちに、教会での様々なことを手伝うようになっていた。しかし、俺は無断で行かなくなった。教会のみんなに何を言われているかとても怖い。迷惑をかけて申し訳ない。心配をかけて申し訳ない。でも、俺がいなくてもきっといつも通りできている……。

 

教会へ行かなくなり、どこにも行かなくなった。そして、家族ともなるべく関わらないようにしていた。出かけるまでは、部屋で物音を立てないようにしていて、出かけてから降りていってごはんを食べる。日中は自分の部屋で過ごすことが多い。その多くの時間を本を読んで時間をつぶす。五時に祖母が帰ってくるので、それ以降は部屋からは出ない。七時過ぎに、母が帰ってきて晩御飯をつくる。食卓には一応つくが、さっさと自分の分を食べて、すぐに自室に戻る。

「どうかしたのか?」と聞かれることが怖かった。話したくない。話すために自分と向き合いたくない。なのに、聞かれないことが寂しかった。

 

 

朝。電話の鳴る音で目を覚ました。きっと、祖母のデイサービスの電話だろう。できればもう少し時間が経ってから起きたかった……。

 

ドスン!!

 

一階から鈍い音が響いた。

一瞬、無視しようかという思いが頭に浮かんだが、それを拭い去るように起き上がる。部屋を出て階段を降りる。

「大丈夫!?」

ちょうど階段の下、リビングから廊下に出るドアのところで祖母が仰向けに倒れている。俺は急いで駆け寄る。

「大丈夫、大丈夫」

顔を歪ませながら言うその言葉が、大丈夫ではないことを物語っていた。

俺は救急車を呼び、母に連絡を入れる。そうしていると、インターホンが鳴り、デイサービスのスタッフがやってきた。俺は救急車を呼んだことを伝え、後は言われたことに従っていった。

救急車がやってきて、俺は付き添いで乗る。揺られながら、渡された紙に祖母の情報を書き込む。自分の祖母のことながら意外と知らないことが多いんだなと思う。

 

病院に到着すると正面玄関の横にある救急搬入口から中に入る。自動ドアを二つ抜け、救急患者用の待合室に通される。そこには長椅子が三列並べられ、男性が一人と夫婦と思われる男女が一組いた。俺は三列目の一番奥に座る。スマホを確認するが、母親からの返信はまだない。仕事中だろうから当然だろう。

 

胸の内で黒い何かがムクムクと膨れ上がる。

 

他の待っている夫婦が会話をする。看護師がパタパタと足音を立てて、通り過ぎる。遠くで何かを知らせる電子音が責め立てるように鳴っている。

いろんな音がまとわりついてきて、居心地が悪くなる。川を割る岩が胸の奥に詰まったような吐き気に襲われる。

 

「菅さーん」

祖母の名前が呼ばれ立ち上がる。診察室に通される。そこにはカルテを見ている、恰幅がよく、口髭が無造作に伸びた、熊がつく渾名を付けられそうな男性医師が立っていた。

「結論から言うと、腰のところの骨が折れていました。入院することになると思います」

医師は少し早口で話した。

「これからさらに詳しい検査をするので、待合室で待っていてください。

待合室に戻り、同じところに座る。

じわじわと浸水してくるように、再び吐き気がこみあげてくる。

 

……帰りたい………。

 

蠅のような会話がイヤだ。銃声のような足音がイヤだ。空調の唸り声がイヤだ。何もかも切り裂く電子音がイヤだ。

スマホにきた通知が溢れ出した思考の流れを止めた。

『今、病院に向かっています。お昼くらいに着きます』

現在午前十一時。母が来るまで早くても一時間……。

その一時間、入院のための手続きがいろいろとあって看護師に話しかけられたが、俺は「母が来てからで……」と言って何もしなかった。

祖母の為というのは分かっているが、何もかもがしんどかった。

 

 

 

祖母が入院してから一週間が経った。母との二人暮らしはとても快適だ。正確に言うと、母との二人暮らしになったことで、一人の時間が増えたので快適なのである。不謹慎だとは分かっているが、心のどこかに祖母の入院を喜んでいる自分がいる。

 

その日の夜。ほとんど唯一と言ってもいい母親と顔を合わせる機会である晩御飯の時だった。俺はいつも通りすぐに自分の分を食べ終わった時、

「あのさ……」

母が口を開いた。

口ごもった静寂と暗い声のトーンで言おうとしていることが予想がついた。

「あんた、これからどうするの?……その……ひきこもりみたいな……。」

「さぁ?どうするんだろうね?」

俺は懸命に興味のないような声を出す。そして、すぐに自室へと戻る。言われなくて寂しかった言葉がいざ目の前に来ると、何も出来なかった。

部屋に入り本を開いてみるが、読む気は起こらない。控えめに言われた“ひきこもり”という言葉が今の自分の客観的評価だった。

俺はゆっくりと目を閉じ、自分の過去を思い返していた。

 

 

俺は大学三年生で、心理学を学んでいる。臨床心理士の資格を取るために大学に入学した。カウンセリングをして、誰かの悩みを解決する手伝いをしたい。そう思ってこの資格を取ろうと思った。

こう思うようになったきっかけは、小学校の時のいじめられたという体験だ。

小学五年生の時、クラスの男子が少数派と多数派の二つに分かれた。多数派が少数派をいじめるという構図だった。

いじめるというのはトイレの個室に閉じ込めて上から水をかけるような派手なものではない。声が大きくて明るい人にたくさんの人間が集まって空気を支配する。コソコソと言っていた陰口が段々と大胆になっていく。いつの間にかクラスは彼らだけのものになっていた。

テレビでは見ることのない地味ないじめだが、テレビにはない心を蝕む力があった。

死ぬことを考えない日はなかった。道を歩いているとき、車が通るたびに自分の方へと突っ込んできて欲しかった。工事現場の下を通るときは、崩れた鉄パイプの下敷きになりたかった。しかし家のベランダに足をかけたときは、飛び降りることはできなかった。死にたいとは思っても、自殺する勇気なんてどこにもなかった。

その時は、母が学校に働きかけ先生も対応してくれた。クラスの雰囲気も変わり、学校に通えるようになった。

だから、教員になろうと思った。自分みたいに学校になじめず、辛い思いをする生徒を助けられるようになりたかった。

しかし、高校生で進路を考える時、教員では自分のしたいことはできないと思った。

授業の準備や生活指導、部活動の指導などをしていては、生徒に寄り添うことはできないと思い、カウンセラーになる道を選んだ。

 

 

 

「小さいころから親に連れられて教会に行っていました」

 

そこはとても楽しかった。遊んでくれる大人がいて、仲のいい友だちがいた。教えられたことも今の自分にも活きている。

小学六年生の時、教会で手伝いをするようになった。親も姉もしていたし、仲の良かった友だちもするようになってはじめた。最初は教会の中の掃除からはじまり、礼拝で必要なものの準備をしていく。日曜日の礼拝のために土曜日にも行って準備をする。平日は学校、土日は教会というのが基本的な一週間だった。

 

「大学三年生になった時にYoutubeをはじめました」

 

小六からはじめた手伝いも中高、大学になっても続けていた。

そして、大学三年生になった時、教会に来る人を増やしたくってYoutubeをはじめた。お笑いが好きで、教会のイベントでは何回もやらせてもらっていたので、メンバーを集めて、ネタの動画を撮って週に一本あげることをしはじめた。教会はまじめでいなきゃいけないみたいに思われていると思ったから、それだけじゃなくて楽しいところでもあるんだっていうことを伝えたかった。

平日の学校、土日の手伝いに加えて、ネタ作りに練習と撮影の日程調整、チームをまとめていくこと。次の日にやることを考えるとベッドに入っても眠れない日が続くようになった。

俺は自分の身体が軋む音を聞こえないようにしていた。

 

「その年の八月にさらに忙しくなりました」

 

教会では八月の夏休みのタイミングで、小学生や中高生、それぞれに向けたイベントをする。俺はそれらのイベントの企画や運営をすることになっていた。前から準備は進めていたが、八月に入り本番が近づき、大詰めで毎日毎日一時間かけて通った。

次第に身体を動かせなくなっていった。

どんなに疲れていても、眠気はやってこない。代わりに、次の日のタスクと心臓を締め付けるような吐き気がやってくる。何とか眠り迎えた朝は、ベッドから転がり落ちるように起き、足をひきずるように歩いた。肌に刺さる太陽の日射しに耐えられなくなり、いっそのこと、焼き尽くされて物言わぬ灰になりたかった。

 

「全部のイベントが終わった後には、外に出るだけで吐き気がするようになりました」

 

人に会うだけで、人がいるだけで、出すものは何もない吐き気に襲われる。毎日使っていた駅に行っても、ニンゲンがただ活動している音が、轟音をたてる濁流となって迫ってくる。耳から流れ込んで、肺を満たし、呼吸を奪う。

その濁流は、橋を流し去り道を破壊しつくし、俺を社会から切り離していった。

最後に残ったつながりは自らの手で断ち切った。

 

俺は目の前に座っているカウンセラーを名乗る女性に今までの経緯を話した。その女性は親身になっていることを示す表情を顔に貼り付けて、パソコンに俺が話したことを打ち込んでいた。タイピングの音がチクチクと肌を刺していた。

このカウンセリングルームには母親に連れてこられた。正直、遅すぎる助け舟だった。

「明日の16時から予約してるから、行ってね」

まるで海に放り出されるみたいに行くことになった。

 

自分のことを話すことで整理できた部分はあったように思うが、もうここには来ることはないだろうなと思っていた。

結局、二度目のカウンセリングには連絡を入れずに行かなかった。

 

「何かあったらちゃんと話してね」

 

俺の様子を見かねてなのか、母親に言われた。

母にはもちろん感謝している。母子家庭で、働きながら育ててくれたことは感謝しかない。しかし、自分のことを言う気にはなれなかった。

『親は子どもの為なら命だって捨てられます。だから、なんでも相談しましょう』

テレビやネット、本の中でも叫ばれているその正論は、俺には響かなかった。たかだか血のつながりだけで、なぜそこまで信頼できるのかが分からない。

 

 

保育園に通っている頃、俺は活発で人見知りな子どもだった。仲の良い友だちといるときはよくしゃべるが、慣れない人を前にすると人見知りしていた。

人形遊びが好きだった。一個百円でラムネ菓子が付いてくる指人形を買ってもらって、自分で物語を作って遊んでいた。

 

小学校に上がった時、人見知りの部分がどんどん強く出るようになった。学校という世界は“明るい子”が認められる世界で、とても窮屈だった。

家に帰っても親は仕事で帰りが遅く誰もいない。誰とも会話をすることなくテレビを見て過ごす。夕方のアニメ、ゴールデンタイムのバラエティ。どれも輝いて見えた。

 

母と姉と三人で買い物に行った時、母と姉が二人で楽しそうに話しながら歩いていく背中を見ながら歩いていた。わざとゆっくり歩いて距離をとっても、二人は気付くことなく歩きつづけた。

 

眠れない夜が続くようになった時、薬を飲んでも効かなかったので母に相談した。

「そういうこともあるよね。でも、すぐによくなるんじゃない?」

もう、自分には助け舟は来ないんだっていうことが分かった。

 

それから、数日後の教会の帰り道。母が運転する車に乗っていた。普段はあまり話すことは無いが、その日は俺の将来の話になった。その流れで母から言われた。

 

「あんたは昔から手がかからなくて本当に助かった」

 

えっ……という言葉は、のどにはり付き音になることはなかった。

手がかからなかったのではなく手をかけなかっただけだろう……。

信頼の岩はとっくに風化していて、最後の最後まで支えていたものは、その言葉で静かに崩れた。

 

 

 

カウンセリングに行った日から二か月が経過した。時の流れの持つ大きな力によって、俺は痛みを忘れ落ち着いて過ごしていた。

 

母と二人、いつも通り晩御飯を食べている。俺はテレビを見ながら食べていると、横目に郵便物を整理している母が映った。届いたものの中から就活情報誌を見つけると、数秒間それを見つめ、脇に置き、その上に新聞を重ねた。

食事を終え、自分の部屋に戻ってもその姿が頭から離れなかった。母親に自分のことを話す気にはなれない。しかし、気遣われているということは感じられた。

 

将来をどうしよう……?

 

 

冷気が頬をひっかく。冬はとっくにはじまっていたらしい。履きなれていたはずの靴と足並みが揃わない。久しぶりの外の世界は、どんよりとした青空が広がっていた。

駅に近づき、ニンゲンが増える。下校中の小学生の嗤い声。幽霊のように揺れる木々。通り過ぎるバイクの爆発音。時が流れてもこの濁流は存在しているみたいだ。耳から聞こえるポップロックサウンドが堤防となり、濁流をくい止める。

俺は踏み込んで歩く。まるで地球の重力が強くなったみたいに。

 

駅に入り改札を抜け、唸り声をあげる怪物に乗る。すぐに逃げられるようにドアの近くに立ち、じっと耐える。ドアが開くとすぐに降りて、怪物の巣から脱出する。この怪物を平然と乗りこなす勇者たちの間を抜けて歩く。

薄暗い階段を降りてある建物に入る。チケットを買って順番を待つ。お面のような笑顔で呼ばれ、鏡の前に座る。ニンゲンに話しかけられた後、イモムシを真っ二つに切り裂くような不快な音をさせながら髪を切られる拷問に耐える。

耐えきると、逃げるように帰路につく。

 

家に帰り、洗面台の鏡の前に立つ。

そこには、殺伐とした弱肉強食の世界から生還した、小さな村の英雄がいた。

 

 

 

髪を切った日から少しずつ外出をできるようになった。コンビニに行ったり本屋に行ったり、電車に乗って移動することも増えはじめた。

今日も出かける。お気に入りのTシャツを着て出発する。ドアを開けて吹き込んでくる刺すような寒さにも慣れた。地球の重力を感じることもなくなった。前を向いて歩いている。イヤホンから流れる音楽が守ってくれている。

 

音楽が一瞬止まる。

 

『Battery low』

 

機械的な女性の声が俺の思考を止める。

堤防にヒビが入る音が聞こえた。

 

再び音楽が流れるが、すぐに女性が言葉をぶつけてくる。ヒビがだんだんと広がってくる。

三回目に言われたあと、音楽が止まった。

 

堤防は決壊した。

 

濁流が流れ込んでくる。その濁流によって抑えていたフタが流された。今まで抑え込んできたものは、心臓から血流に乗って全身に巡りだした。膝から足に行き、腕から手に行き、首から脳に行って、俺は完全に支配された。

支配された俺は流れに流されるように歩きだした。

 

 

うす暗い路地裏まで流されてきた。死んだサンゴのように白いビルへ入る。自分の足音だけが響く階段を上る。錆びたドアを開け屋上に出る。見上げると青空に赤く染まった雲が浮いている。沈みかけの太陽を背にして淵に立つ。遠くからニンゲンの音が、小豆では到底再現できない本物の波の音のように聞こえる。

両手を広げ、両足で踏み切りダイブする。

 

灰色の海を落ちていく。

 

海底に花火が上がる。

 

いのちと対話する

語りかけてくる。

海がしゃべって、草が歌って、花が踊る。

空が描いて、風が笑う。

みんなが語りかけてくる。

私もみんなに語りかける。

車輪のようにやりとりをする。

 

 

 

SNS上のカギアカ村のメンバーで、オフラインでの飲み会が行われた。

 

私は酔っ払うと記憶がなくなる。

あとから話を聞くと、めちゃくちゃ歌ってめちゃくちゃ踊っているらしい。

その話を聞くと毎回、素面とあまり変わんないんだなって思う。

 

でも、その日のことは鮮明に覚えている。

 

 

私の前の席に座ったその男は、よく眠れそうな低音の癒しボイスでイッセーと名乗った。イッセーはブラウンのカラーレンズメガネにあご髭という、一昔前のテレビ局の、少し胡散臭そうなプロデューサーみたいな見た目をしている。

 

時間が経ち、飲み会の空気が緩みきったとき、イッセーが聞いてきた。

「ヤヨイって、何かやってみたいことないの?」

「バイクで日本一周してみたいですよね。」

 

人と会うのが好きな私は、いつか日本中をまわって、いろんな人に出会いたいと思っていた。

 

「でも、免許持ってないんですよ。」

イッセーはハイボールを持ったまま笑う。

そして、すぐに口を開いた。

 

「じゃあ、自転車にしたら?」

 

意識の外からの提案だった。

でも、確かに、自転車だったらすぐにでも出発できる……。

 

そして、今私の中で呪いのように流行っている、一番おもしろい言葉が、口から出ていく。

 

「ハイッ!やります!!!」

 

「何か手伝えることあったら言ってね」

「ありがとうございます!」

 

その日の夜、家に帰ってから発信する。

【私は、自転車で日本一周の旅に出ます!!!そして、強力な助っ人としてイッセーさんが入ってくれることになりました!!!】

 

いよいよ私の運命がまわり出した。

 

 

 

初対面同士の緊張感もなくなり、会話の声が大きくなっていく。

それは目の前に座っているこの女性にも言えることだ。

 

最初にヤヨイと名乗ったその女性は髪の毛が目が覚めるような紅色をしている。そして、オレンジに紫のドットという南米のカエルを思わせるワンピースを着ている。

見た目通り、彼女はアーティストだ。役者をしながら、絵を書いたり歌ったり踊ったりしているらしい。

 

その女性は今、酔っ払ってオレの前で歌っている。

いつのまにかヤヨイリサイタルのS席を購入していたらしい……。

 

「ヤヨイって、何かやってみたいことないの?」

オレも酔っ払ってきて、饒舌になっていた。

「バイクで日本一周してみたいんですよね。」

流石、アーティスト。考えがぶっ飛んでいる。

 

「でも、免許持ってないんですよ。」

流石、アーティスト。考えがぶっ飛んでいる。

 

しかし、いい感じに酔って頭が冴えていたオレはすぐに応えた。

 

「じゃあ、自転車にしたら?」

 

オレは自転車に乗るのが好きだった。自転車に乗ると普段とは違うものが見える気がする。

 

「ハイッ!やります!!!」

ヤヨイは目に鮮烈な光を宿して言った。

 

 

次の日、まだ体が少しだるいなか、ケータイを見る。昨日会ったヤヨイの投稿を見つけた。

 

【私は、自転車で日本一周の旅に出ます!!!そして、強力な助っ人としてイッセーさんが入ってくれることになりました!!!】

 

えっ………?…あれ……本気だったの………?

 

正直、酒と空気に酔って口から出てきたのだと思っていた。黒板の上に掲げられたクラス目標のように、いつかはしたいと漠然と思っているだけの夢だと思っていた。

 

しかし、こうなってしまった以上、本気でやらなければ!!

ヤヨイがしっかりと応援されて、無事に行って帰れるように整えなければ!!

 

 

 

私が自転車日本一周の旅を宣言した次の日、イッセーから連絡が入った。

 

『日本一周旅のことなんだけど、自転車を使わせてくれる人を見つけた。』

 

ホントに!!?まだ、昨日の今日だよ!?

イッセー、仕事が早すぎるでしょ!!

 

 

その三日後、再びイッセーから連絡が来た。

 

『今回の旅のプロモーションビデオがあった方がいいと思うんだけど、どう?』

『私もあったらいいと思います。』

『OK。動画の編集できる人を見つけたから、連絡とってみる。』

その連絡から少ししてから、やってもらえるという連絡を受ける。

 

スゴすぎる……。

イッセーって何者なんだろう……。

 

 

さらに三日後、イッセーから連絡が入った。

 

『今回の旅で応援された方がいいと思うんだ。それで、みんなが応援しやすくするために、映画『えんとつ町のプペル』の宣伝を勝手にするっていう風にしたらいいと思ってるんだ。それで宣伝のために自転車に絵を描いてプペル自転車にしようと思ってる。』

『それ、スゴイいいですね!』

『イラストをかける人も見つけたからお願いしてみる。』

そして、プペル自転車にすることも決まった。

 

ここまでで一週間。

そんな期間でここまで準備を整えるとは、イッセーは見た目は胡散臭いプロデューサーだが、ホントは敏腕マネージャーなのかもしれない。

 

マネージャーから連絡がきた。

『ヤヨイも応援されるようにファン作りしておいて。』

 

ファン作りのために、とにかくたくさんの人に会おう!

 

幸いにも、人もお酒も大好きな私はカギアカ村内の飲み会にたくさん参加した。その飲み会でいろんな人の話を聞いた。そして私の話もたくさんした。そうすると何度も顔を合わせる人も出てくるわけで、私の旅に興味を持ってくれる人が増えてきた。その中には、

「今回のヤヨイさんの旅と、私がやっている企画のコラボして欲しいんだけど……。」

という風に言ってくれる人もいる。

そんな人には毎回こう返す。

 

「マネージャーのイッセーを通してください。」

 

一生で一度は言ってみたかった言葉だ。

 

 

ある日の飲み会終わり、私は家に帰ってもなかなか眠れなかった。お酒と深まった夜によってもたらされた謎のテンションによって、私は自分の脚にペイントをしていた。そして、そのトーテムポール柄の脚をSNSにあげていた。もしこれが自分の心の奥底にあるものなのだとしたら、祖先にインディアンがいるのだろう。

 

 

 

炭酸の抜けたハイボールを飲みながら、オレはパソコンの画面に向かう。

すると、傍に置いてあるケータイの画面が光り、メッセージの受信を知らせる。

 

『はじめまして!ヤヨイさんの自転車日本一周の旅について、マネージャーのイッセーさんにお願いしたいことがありまして、、、、』

 

オレって、いつマネージャーになったの………?

 

 

 

『はじめまして!トウキと申します。先日のボディペイントの投稿を見て連絡しました。私はスクワット専門のパーソナルジムをやっています。今カギアカ村での企画で、私がおしりを鍛えて、おしりクリエイターというカメラマンに撮影してもらう、というものをしています。ただ、おしりクリエイターが巨大なおしりに連れ去れてしまって来れなくなってしまいました。

そこで、私のおしりにペイントしてもらえないでしょうか?

ヤヨイさんが自転車日本一周の旅をするということを聞きました。もし今回描いていただけるなら、私のおしりの企画での収益は全額その旅に差し上げたいと思います。よろしくお願いします。』

 

令和のヘンタイはひと味違う。

 

しかし、ちゃんと話を聞くといい話だ。自分の旅の資金を得られるのはありがたい。すぐにイッセーに連絡して事情を説明し、トウキに了承する返事を返す。

私のためにオジサマがおしりを売ってお金を稼ぐ。とても貴重………いや、奇妙な経験だ。

 

 

雲の切れ間から射す光が、はじめての経験で高鳴る私の心を表してるみたいだった。

 

いよいよ、ボディペイントの当日になった。

会場であるトウキのジムに向かう。間に合うつもりで家を出たのに、なぜか時間に遅れる。

まあ、いつものことだけど。

 

会場には、オンラインでもオフラインでも、休日の昼間におしりを見に来るヘンタイが集まっている。

 

「みなさん、お集りいただきありがとうございます。今日は楽しんでいってください。」

トウキの挨拶で幕が上がった。

 

はじめは各々がおしりを描く時間。

私はその時間でイメージをさらに膨らませる。

 

 

「じゃあ、そろそろ、ヤヨイさんに描いてもらいたいと思います。」

 

私の前にトウキがうつ伏せになる。

おしりを見つめ、私の中のイメージをもう一度、はっきりと意識する。

パレットに青い絵の具を出し、右手にとる。そして、それを腰に塗る。

 

トウキのイメージは、荒々しい波だ。

防波堤に勢いよくぶつかり、しぶきをあげる波。

それを描くのに、腰の凹凸がちょうどいい。

ビクともしない防波堤に、何度も何度もぶつかり血しぶきをあげる。

それでもなお、立ち上がり立ち向かう強さ。

 

その強さは、黒。

 

背中に目を向ける。

次は、背中に黒を塗る。

 

トウキは肉体を鍛えている。同時に心も鍛えている。

どんなに重い決意でも背負っている。

いろんな人のいろんな色の決意を混ぜ合わせ真っ黒になった決意を背負う。

 

黒くて、力強い命。

 

右脚の太腿の上の方に、黒い手形を付ける。

 

この命は宇宙に抱かれている。

 

今も広がり続けている宇宙。

どこかで星が燃え尽き流れている。

その宇宙の中の銀河の中の太陽系の中の地球の中の日本の中の一人の人間。

人間は宇宙に生かされている。

 

この人間は宇宙に抱かれ、命を肯定されている。

生を祝福されている。

 

おしりの縁を白くなぞる。

 

荒々しい波のような、どんな決意をも背負う力強い、宇宙に肯定されている命のおしりをはっきりと示す。

 

 

「完成しました!」

そう言ったことは拍手を聞いてから分かった。

 

はじめての生きているキャンバスに描くという体験はとても刺激的なものだった。

 

 

 

『イッセー!!助けてほしいことがありますっっ!!!』

 

ヤヨイからそう連絡があったのは、トウキのボディペイントから四日後のことだった。

 

話を聞いてみると、トウキのボディペイントを見て、ヤヨイの旅の支援のために

「自分にもペイントしてほしい!」

という人物が現れたようだ。

 

どうやら今年の流行りはボディペイントらしい………。

 

ヤヨイと、名乗り出たシュンキの二人でイベントを企画していたらしいが、経験がないらしくオレに助けを求めてきたというわけだ。

 

 

「で、どうやっていこうか?」

自分と赤髪の女性と日焼けした男性の映った画面に向かって話す。

「トウキのときとは違う感じにしたいんですよね。」

「そのときはどうやってやったの?」

「トウキのジムを会場にして、何人かオフラインで来て、あとはオンラインで見ながら参加したって感じです。」

 

二人の話を聞きながらオレにはある考えがひらめいた。

「前は屋内でやったから、今度は屋外でやったら?それで、屋外じゃないとできないことをやるとかはどう?」

「屋外じゃないとできないこと?」

「例えば、描いてるのを見ながら横でピクニックするとか、ペイントを水鉄砲で落とすとか。」

「おもしろい!!そうします!!」

 

ヤヨイとシュンキはイベントの準備をはじめていった。

オレは二人から告知画像を作ってほしいと頼まれたので制作に入る。

 

 

 

イッセーから告知画像が送られてきたのは、頼んでから三日後のことだった。

 

それはまるで某男性用健康雑誌の表紙みたいになっていて、中央に上裸のシュンキがばっちりポーズを決めている。

これはモデル経験があるか、催眠術をかけられているかをしていないとできないだろう………。

 

 

ボディペイント当日。

青空に綿飴みたいな雲が浮いている。

鮮やかな草原が騒がしく揺れている。

熱気が皮膚にべったりとはりつく。

 

会場にしたのは代々木公園。

集合時間が近づき、続々と参加者が集まってくる。

 

このカギアカ村には変わった人が多い。それは今日の参加者にも言える。

イカとタコのメガネをかけた人。

アリを描くためにアリの観察をしている人。

一歳のムスメちゃんと来ている人。

 

あ、変わった人じゃなかった…。

 

深刻なダメージを受けたジーンズをはいている人。

 

「今日のイベントは、ノーロープオープンエアボディペインティングデスマッチ!!猪木とマサ斎藤の巌流島決戦が令和にも時代に再現される!!」

なんでもプロレスにつなげて話す人。

 

時間に遅れたがさわやかに登場する人。

この遅刻はきっと、注目されるための演出だ……。

 

 

人が集まるにつれて、私の緊張が高まっていく。

イベント主催者として楽しませなきゃ………。

いい絵を描かなきゃ………。

 

 

みんなが集まり談笑している中、私はイメージを膨らませる。

 

シュンキは海っぽい感じがする。海と言っても、荒々しい海というより穏やかな海。

やさしい風が小さな波をつくる。

波打ち際では、足が濡れることを気にも留めず、小さな女の子が貝がらを探している。

手のひらよりも大きい貝がらを一つ取り上げると、近くにいるパパとママの元へと駆け寄る。

拾った貝がらを耳に当てる。

三人とも笑顔になる。

そんな海だ。

 

いよいよ、ボディペイントがはじまる。

シュンキがTシャツを脱ぐ。私は向かい合う。それを囲むように参加者が集まる。

普段だったら横目で見るだけの集団の中心に、今、私はいる。

軽く目をつむり、体中の空気を入れ替えるように呼吸する。

 

よし。

 

パレットを取る。

まずは、脇腹に手でピンクを塗る。

 

頭に花を咲かせよう。

別に頭がお花畑ってことじゃないよ。

やさしい香りがフワッとくる花みたいな人だから。

 

 

パレットに白と青の絵の具を出す。

 

あれ……?時間、大丈夫かな?

みんな、飽きてないかな……?

「あの、ヘンタイ見に行ってみる?」

イッセーがムスメちゃんと遊んでいる。

コノヤロウ。

 

そんな雑念を溶かすように絵の具を混ぜる。

顔を上げる。

汗をかいているキャンバスに目を向け、再び自分の世界へと落ちていく。

 

 

両手に青い絵の具をとって、海をつくりだす。

胸からお腹にかけて、水平線のように広げて塗る。

薄ピンクの絵の具をとる。

海の上に花を落とす。

 

 

「できました。」

拍手を聞く。

 

生きたキャンバスの上には、穏やかな海が広がり白桃色の花が漂う。

 

海と花と草原と空。

今のこの人は、本当に自然体だ。

 

 

 

不安だ。

 

出発日が近づくにつれて、オレは不安感が増してきた。

 

今、練習をしているとはいえ、自転車での長距離移動は慣れていないと大変だ。

さらに、現在、世界中が百年に一度のウイルスに襲われている。場所によっては外からくる人間を良くは思わないだろう。

ウイルスというより、人が恐い………。

また、いくらヤヨイとはいえ、女の子なので泊まるところはきちんとしたい。協力してくれる人を見つけるか、宿に泊まれるように資金調達をもっとするか………。

 

ヤヨイの投稿を見つける。

 

【旅に向けて、キャンプ道具を買いました!!!野宿するのも楽しみかも!!】

 

……心配だ………。

 

ヤヨイは親戚に一人はいる、お年玉をたくさんもらうタイプだと感じる。

よく笑って、人懐っこくて、チョロチョロ動き回って、茶碗を割る。

そんなタイプだ。

だから、後先考えずに突き進んでいきそうだ………。

 

 

 

私はいよいよ明日、出発する。

 

楽しみだっっ!!!

 

必要なものはだいたい準備した。まぁ、なんかなくてもきっと大丈夫だろう!

私は生き抜く自信は人一倍ある。

 

 

どんな人と会えるだろう…?

 

いろんな人と対話したい。

言葉だけでなく、音楽でも、ダンスでも、もちろんボディペイントでも。

 

 

私は人が好きだ。

 

人の生きるこの世界が好きだ。

 

私は、この世界が好き、それだけで走っていける。

 

 

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この小説は井上美都さんの提供でつくりました。

美都さんは自転車で日本一周する旅に出ます。

コチラからその支援をすることができます!

美都さんの応援をよろしくお願いします!!!

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紫雨花

紫雨花(あじさい)が泣いている。

雨にうたれて、大粒の涙を流している。

時折、嗚咽が漏れるように肩を揺らす。

庭に咲いた、たった一輪の紫雨花が泣いている。

 

 

弥彦は紫雨花が嫌いだった。

雨を告げているようで嫌いだった。

弥彦はお通を愛している。

お通は紫雨花が好きだった。

 

 

庭で咲いた何輪もの紫雨花の前に、雨の中で、赤い傘を差したお通がかがんでいる。

お通はいつまででも紫雨花を見ている。

 

「もう、中に入りなさい。」

お通に呼びかける。

「もう少しだけ見ています。」

お通は少しだけ振り向き、応える。

 

「よく、そんなに見ていられるな。」

弥彦は枯草色の傘を差し、お通の隣に立った。

「こんなにうつくしい花は他にありませんよ。」

「うつくしい?私には、雨に濡れて泣いている、とても悲しい花に見える。」

「違いますよ。紫雨花は悲しい花ではありません。確かに、雨の中で見ることが多いので、泣いているように見えるかもしれません。でも、わたくしは、紫雨花は太陽を待ちつづける、希望の花だと思います。」

 

弥彦はお通の言っていることが理解できなかった。

しかし、このときのお通のやさしい横顔を忘れることができなかった。

 

 

弥彦は紫雨花が嫌いだった。

 

お通の最期に、姿を見せなかった紫雨花が嫌いだった。

 

 

お通は、寒くなるにつれて弱っていった。

次第に、起き上がれる回数が減っていき、桜が咲く頃には寝たきりになっていた。

 

「……紫雨花を見たい………。」

 

お通は、しきりに言っていた。

 

 

今年も、雨の降る薄暗い季節がやってきた。

 

庭の紫雨花は咲かなかった。

紫雨花を見ることなくお通は旅立った。

 

 

次の日、たった一輪だけ、庭の紫雨花が咲いた。

 

……今更、咲いても………遅いんだよ……。

 

向かい合う紫雨花も泣いている。

 

 

 

屋根を叩く雨音が消える。

雲が流れる。

陽が差す。

 

 紫雨花の流した涙が光を放つ。

 

“でも、わたくしは、紫雨花は太陽を待ちつづける、希望の花だと思います。“

 

弥彦は、目を見張った。

 

目の前には、どれほど辛くて涙を流しても、太陽を待ち続けた花がある。

流した涙で、うつくしくかざる花がある。

 

 

そうだ。これから紫雨花を紫陽花と呼ぶことにしよう。

 

 

 

決意の苦さ

ここではオシャレにならなければいけない気がする。

控えめに流れるジャズ。皿にカップを置く音。新聞をめくる音。

すべてに脅迫されているみたいだ。

 

 

立花宏輝は木でできたカウンターに座っている。

他には、いかにも常連という客が数人いる。

今までの自分を変えるため、大人になれそうな気がしたカフェにやってきた。

 

僕はここにいていいんだろうか……。とても場違いな気がする……。

 

「お待たせいたしました。ブレンドコーヒーです。」

白髪まじりの長髪を後ろで束ねたマスターが、他の客にコーヒーを出す。とても爽やかな笑顔をしている。

 

………あの笑顔は……先生に似ている………。

 

 

高校の新体操部の顧問の前田先生。練習は厳しいが、笑顔を絶やすことのない先生だった。

僕は先生を心から信頼していた。そして、密かに憧れていた。

しかし、僕の記憶の中での先生の最後の顔は、悔しさで歪んでいた。

 

 

新体操は小学生からはじめた。最初は、親に連れてこられたのだが、はじめて出た大会がとても楽しかった。それから続けている。

新体操の人間の身体の美を追求していくところがとても好きだ。そして、演技が終わったあと、観客の笑顔を見れると、この上なくうれしい。

中学でもやっていたが、高校でも続けるかは悩んでいた。高校でやるとなったら中途半端な気持ちではダメだと思ったからだ。

 

そんなときに前田先生と出会った。

 

僕の住んでいる地域では、新体操部のある高校は先生のいるところだけだった。なので、続けるとなったらそこに行くことになる。

僕は、中学最後の大会のあと、前田先生にうちに来ないかと誘われた。

誘われたこともあり、僕はさらに悩んだ。

 

そんな僕を変えたのは先生の演技だった。

 

たまたま、先生の演技を見る機会があった。そこで見た演技に心を奪われた。人間の身体をここまで美しく見せられるのかと驚嘆した。さらに、堂々とした演技に、その時間だけ世界の中心は先生だと感じた。終わったあと、観客の歓声を聞きながら、僕は泣いていることに気づいた。

 

僕はこの先生のもとで新体操をやろうと決意した。

先生のように感動を与えられる人間になりたいと思った。

 

 

前田先生は練習中によく、

「努力したつもりになるなよ。」

と言っていた。

練習は厳しかったが、憧れの先生のもとということもあり、努力を続けることができていた。

 

 

高校二年。

僕はインターハイの代表の補欠に選ばれた。代表は新体操部の先輩である。

 

ある日、その先輩が骨折し出られなくなった。なので、繰り上がりで僕が代表に選ばれた。

みんなから、

「宏輝って運いいな。」

散々、そう言われた。でも、正直、自分の中には、選ばれてしまった、というモヤモヤした気持ちが残っていた。僕はそれを振り払うように練習した。

先生からは、

「努力したつもりになるなよ。」

と、いつもの言葉が送られた。

 

しかし、結果は、思うような演技をすることができなかった。

 

前田先生から、

「お疲れさま。」

と一言だけ送られた。

 

 

高校三年。

僕は再び、インターハイの代表の座を掴むことができた。

今年はとても上手な一年生が入ってきて、もしかしたらダメかもしれないと思っていた。しかし、彼は試合の緊張感に呑まれ、いつも通りの演技ができていなかった。

 

……やっぱり、僕は運がいい………。

言葉にはしないが、そう思わずにはいられなかった。

 

僕は本番に向けて練習を重ねた。

「努力したつもりになるなよ。」

何度聞いたか分からない言葉をかけられる。

 

そんなこと、もう分かってる。最後の大会なんだ。ちゃんと努力してる。

 

結果は、また思うような演技ができなかった。

 

「お疲れさま。」

先生は、何かをのみ込むようにして、一言だけ言った。

 

 

衣替えも終わり、厳しい冬の足音が聞こえてくる。

受験に向けて教室の空気が重くなる中、僕は推薦で大学が決まっていた。

 

そんな中迎えた定期テストで、僕は数学で赤点を取ってしまった。

気を抜いていた。

 

 

数日後。

 

ガラガラッ!!

 

教室のドアを開け、前田先生が立っていた。

「立花。職員室に来なさい。」

先生に呼ばれた。

……これは、絶対に説教だな……。

定期テストで赤点を取ったのだから仕方ないと思い、職員室に行った。

 

先生が座っている前に立つ。

怒号を覚悟する。

 

しかし、

 

「……お前は何をやっているんだ………。」

 

先生の声は涙でにじんでいた。

 

「立花はいつも最後まで努力しきれないでいた。才能はあるのに、最後の最後で詰めきれないから結果に繋がっていなかった。……努力したつもりになるなと言っていただろう………。…三年間……新体操をして……何を学んでいたんだ………。」

 

先生が弱々しく話す言葉の一つ一つが、僕の心を貫いていく。

 

先生は……いつも僕を見てくれていた………。そして、ちゃんと助言をしてくれていたのに……僕は聞く耳を持っていなかった………。

 

先生の悔しさで歪んだ顔は、にじんで見えなくなった。

 

 

「お待たせいたしました。アイスコーヒーです。」

目の前に水滴のついたグラスが置かれる。

 

大学生になった僕は、同じことを繰り返してしまいそうで、新体操は続けられなかった。

代わりに、何かをはじめたかった。そして、自分を変えたかった。

 

アイスコーヒーを一口飲んだ。

 

!!!

 

自分の身体に衝撃が走るのを感じた。

 

苦み、酸味、甘みがバランスよくマッチしていて、鼻に抜ける香りまでおいしい。

僕は頬が緩み、

 

「おいしい。」

 

と、口から滴り落ちた。

 

「ありがとうございます。」

マスターがキラリとした笑顔を向けてくる。

 

僕はなんだかホッとした。

 

もう一度、店内を見渡してみる。

周りにいる客は、みんなリラックスした表情をしている。

 

ひかえめに流れるジャズ。皿にカップを置く音。新聞をめくる音。

 すべてが心を解きほぐすためにある。

そんな空間である、カフェをつくり出すためにある。

 

 

僕もみんなを感動させるコーヒーを淹れたい。

みんなが笑顔になれるカフェをつくりたい。

 

「努力したつもりになるなよ。」

 

僕は、今度こそ、しっかりとその言葉を聴いた。

 

 

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この小説は藤田寛之さんとの雑談で生まれました。

藤田さんにも夢があるので応援をしてください!

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自作自演

百人が見ている。

正確には、百人がモニター越しに見ている。

 

「では、どうしていろんなものがある中からスクワットを選ばれたのですか?」

「ジムに来る人は、ダイエット目的であることが多いんだよ。で、ダイエットに効果的なのは大きな筋肉を鍛えることことだから、スクワットを選んだのよ。」

 

今、オレはインタビュー企画<サツキの部屋>に出演している。

サツキの部屋って何かって?

サツキの部屋とはSNS上のカギアカ村で生まれた。たまに相手の話を聞かない女:サツキが、いろんな人にインタビューをしていく企画だ。

え?相手の話を聞かないのに大丈夫かって?

それも込みでこの企画は楽しまないとダメだ。もはやマジメなインタビューではなくなっている気がするが……。

 

「それで、今度、おしり撮影会をされると聞いたんですけど、それってなんですか?」

 

 

そうだ。それが本題だ。

数日前、ある男がオレに近づいてきた。その男は自らをおしりクリエイターと名乗った。ドレッドヘアという天才でなければ説明のつかない髪型をしている。

彼ががおしりつながりでコラボを申し出てきた。もちろん、オレは喜んでそれを受けた。きれいになったお尻をプロに撮ってもらえて、残しておけるのは良さそうだからだ。

 

しかし、一つ問題があった。

それは、すぐに撮れるおしりがないということだ。

そして、思わず言ってしまった。

 

「オレのおしり撮りますか?」

 

 

「というわけで、おしり撮影会をすることになったんですよ。」

 

チャットが重力を無視して流れる。

『ヤバッww』

『おもしろそう!』

『見た過ぎる!』

『楽しみにしてます!』

 

えっ……?どーゆーこと!?

おじさんのおしりをおじさんが撮るのを、なんでみんな見たいわけ?

 

画面の中で一人の女性が手を上げる。

「わたし、おしりを磨きます。」

 

おしりを磨く?

オレをグラビアアイドルか何かと勘違いしているのか?

 

再びチャットが勢いよく流れる。

『それ、おもしろい!』

『見たーい!』

『最高です!!』

 

 

その日のサツキの部屋は大盛況のうちに終わった………いや、終わってしまった。

百人がこの企画を知り、おもしろがってくれた……。つまり、逃げられなくなった……。

 

ならいっそ、この企画をどんな手を使っても盛り上げてやる!

たとえ、自作自演をしてでも!!

 

 

まずはじめに言っておくことがある。オレはおしりを見せたいというわけではない。

大事なことなのでもう一回言わせてもらう。オレがおしりを見せたいわけではない。気付いたら、見せざるを得なくなっていただけだ。

 

まずは、仲間を集める必要がある。

サツキの部屋ではじまった企画なので、当然サツキ。そして、新たに二人が募集に応じてくれた。

一人は、黒縁メガネにセンター分けのデキスギ。彼は、髪を染めてるバンドは聞いてはいけないと思っていたくらいマジメである。

二人目はオジーチャンと呼ばれている。見た目は若く、全くおじいちゃんではないのだが、ゆっくりな喋り方と物忘れが多いということからオジーチャンと呼ばれている。

もう一人、オレが直談判をして仲間に入ってくれた人がいる。イッセーと名乗った彼は、よく眠れそうな低音の癒しボイスを持っている。しかし、彼は毒舌である。癒しボイスで放たれる辛辣な言葉は、花束に隠される爆弾のような破壊力を持つ。

 

以上三人にオレを加えた四人が、サツキの部屋四大柱となって、サツキの部屋全体を盛り上げていくことになった。オレのおしり撮影会はその一環としておこぼれに預かる形になる。

 

 

まずは、先程決まったおしり磨きを盛り上げることから始めよう。

おしり磨きとは、アロママッサージのことである。名乗り出た女性はアロマセラピストである。普段は女性専門だが、特別にやってくれるとのことだ。

嬉しいんだか、嬉しくないんだか……。

 

 

『日程の件、それで大丈夫です。それで、一つ提案があるのですが、おしり撮影会に向けて盛り上げたいので、今回のアロママッサージを生配信にすることはできないでしょうか?』

ダイレクトメッセージを送る。まさか、自分のおしりを生配信する提案をする日が来るとは……。母ちゃんごめん……。

すぐに返信が来た。

『生配信大丈夫です!とてもおもしろそうですね!!』

 

 

【おしり磨きを生配信します!】と発信すると早速反応があった。

それもそうだろう。

おしりのアロママッサージを生配信など聞いたことがない。おそらく会議用アプリの開発者たちもここまでの広がりを見せることは予期していなかっただろう。

オレは、【おっさんのおしりを見たいやつなんているのか?】と返信する。すると、すぐにコメントが来た。

『マジかっ!!』

『見たーいww』

『楽しみにしてます!!』

ニヤリと笑う。

 

 

もう一度言っておくが、オレはおしりを見せたいわけではない。

 

このアロママッサージは二回行われることになった。

第一回目を盛り上げるために次の手を打つ。

 

『施術の時に履くTバックの柄をカギアカ村でアンケートを取りましょう。そして、それを買ってくれる人を募集して、巻き込む人を増やしましょう。そうしたら、きっと注目度が上がります!』

セラピストに向けて、ダイレクトメッセージを送る。

 

そのアンケートはすぐに実施された。

【おっさんの履くTバックに誰が興味あるんだよ!!】とコメントする。

 

アンケート結果は蛍光イエローとアニマル柄に決まった。

 

ここで、問題が発生した。

セラピストがTバックを買ってくれる人を募集したのだが、一向に現れない。

慌てて、オレも発信するが効果がない……。

マズイ……。このままだと……。

よし、こうなったら………

 

 

『じつは、今度、公開でアロママッサージを受けることになっちゃって、その時に履くTバックを買ってくれないかな?お金はオレが払うから。』

信販売サイトのリストと共にダイレクトメッセージを送る。相手は、現実でも絡みのある仲の良い人間だ。

見せたくもないおしりを晒すときに履くTバックを、自分の金で誰かに買ってもらうという世にも奇妙な状況だ。

幸いにも、了承してくれた。

 

セラピストが【Tバックを買ってくださる方が現れました!これで無事、行えます!】と言った。

オレは【何が無事なのか分からないんですけど】と返す。

内心はホッとしている。一時はどうなるかと思った。

 

ん?セラピストがつぶやいている。

【当日のマッサージはこんな形で行いたいと思います。】

メッセージに画像が添付されている。そこには、中央に人がいて、カメラがどの角度からどこを撮るのかが分かりやすく説明されている。

オレは【丁寧に企画するのやめてもらっていいですか?】と返す。

うれしい誤算だ。

 

 

モニターに数人の顔が映り、オレを見ている。

いや、正確にはオレのおしりを見ている。

そして、オレもオレのおしりを見ている。

 

「すごい!おしりキレイですね!」

「え……あ…ありがとう…?」

褒められて戸惑うのははじめてだった。

 

「これは何を見せられてるんですか?」

「お前が見に来てるんだよ!!」

ナイス、ツッコミ!オレ!

 

「おしりのツボを押していきますね〜」

「ア゛〜〜〜〜〜」

声が勝手に絞り出される。

それを聞いて、爆笑が起こる。

 

とまぁ、こんな感じで第一回アロママッサージは大いに盛り上がった。

しかし、撮影会までまだまだ時間がある。

次の手は、おしりクリエイターのサツキの部屋の出演だ。

もうすでに出演は取り付けてある。ここでおしりクリエイターのことを、みんなにもっと知ってもらって、撮影会にうまくつなげよう……。

 

 

ピロリン♪

 

メッセージだ。知らないアドレスだな……。

 

『はじめまして。突然の連絡申し訳ありません。私、おしりクリエイターの友人のおしりミュージシャンと申します。おしりクリエイターのことで連絡しました。おしりクリエイターなのですが、昨晩、巨大なおしりに連れ去られてしまいました。もう見つかってはいるのですが、おしりに脳内浸蝕を受け、現在入院中です。何か予定があったようですが、こういう事態なので今回は見送らせてください。』

 

こんなにおしりが出てくるメッセージを見たことがない……。

じゃないっっ!!

おしりクリエイターが出られないだって!!!

マズイぞ……。いったい、どうすれば……。

 

 

「というわけで、今日のサツキの部屋のゲストだったおしりクリエイターが来れなくなってしまいました。どうしましょうか?」

オレは、サツキと四大柱との緊急会議を行うことにした。

 

「無しにはしたくないですよね」

デキスギが言った。

「急にゲストを頼める人いるかな?」

ジーチャンが言った。

「さすがにいないだろ、それは。」

イッセーが答える。

「だったらこの中の誰かですかね?」

サツキが口を開く。

「でも、それだと目新しさがないかなって思うんだよね。それに、今日第二回アロママッサージのアピールもしたいんだよね。」

オレが応える。

「うーん。」

沈黙が流れる。

 

デキスギが沈黙を破った。

「じゃあ、今日は四大柱の結成秘話ってことにしましょう。そしたら話の流れでおしりの話もできるんじゃないですか?」

「でも、せっかくなら盛り上げてからアピールしたいですよね。」

イッセーが言う。

「よし、わかった。今日は四大柱の結成秘話にして、後半におしりの話を持っていこう。それで、そのときにオレのことをいじってくれ。そしたらオレが『ちょっと!』とか『オイッ!』とか騒ぎ続けるから、そろそろうるさいなってくらいのタイミングでオレのことをミュートにして。ミュートになってもしばらくは、一人でしゃべり続けるから。そうやって盛り上げてからアピールをしよう。」

 

 

その日のサツキの部屋は打ち合わせ通りにいった。なんとか盛り上げることができたようだ。

しかし、まだ問題が残っている。当日もおしりクリエイターは出られないだろう……。

延期しようか……。いや、でもこのイベントは盛り上がってる今の温度感のままいった方がいい。

だとすると代わりの企画を用意しなければ……。何がいいんだろう……。

 

オレはアイスコーヒーをストローで吸い上げる。スマホを開く。すると、ある投稿に目が止まった。

【ボディペイントしてみた】

投稿とともに、自分の脚をカラフルにペイントしている写真が上がっている。

 

…ボディペイント……?

それだ!!オレのおしりにペイントしてもらおう!!

 

オレはすぐにダイレクトメッセージを送った。返事はすぐに来て、やってくれるとのことだった。

ペイントをしてくれるのはヤヨイという女性だった。アイコンは本人だと思うが、赤髪でオレンジに紫のドットの入ったワンピースという、アーティストでなければ近寄り難い外見をしている。

 

そうと決まれば、次は第二回のマッサージだ。

 

 

また、オレのおしりを何人もの人が見ている。

二回目になると、良いのか悪いのかおしりを見せることに慣れてきた。

 

オレがマッサージを受けながら話す。

「当日って、おしりクリエイターが来れなくなったの?」

あらかじめしていた打ち合わせ通りにイッセーが応える。

「そう。当日来れなくなったから、代わりにヤヨイさんって方にボディペイントをしてもらおうってことになって…」

「オレ、了承してないんだけど!」

「で、それだけじゃなくて、みんなでおしりを描く、おしり描きにしようと思ってて…」

「だから、聞いてないんだよ!!」

「あなたのおしりはみんなのものだから多分大丈夫だろうと思って…」

「なんだよ、その理屈!」

オンライン上で笑いが起こる。

 

「はい、マッサージ終わりました。」

セラピストが言った。

「カメラにおしり見せてください。」

イッセーが言う。オレは抵抗なくカメラにおしりを向ける。

「いいですねー、いいですねー」

「おっさんのおしり見て、『いいですねー』ってなんだよ!」

よし!ウケた!

「で、結局当日はおしり描きになったのね?」

「そうです、そうです。」

「わかったよ」

渋々言う。いや、渋々言ったように見せる。

 

これで、あとは当日を迎えるだけだな。

 

 

ここまで来た。ここまで来てしまった、と言うべきか……。

自分の気持ちをうつしているかのような曇り空が広がっている。

いよいよ、おしり描きの当日がやってきた。いろいろあったが、今日を成功させれば全て良くなる。

 

現場には、セラピストとヤヨイ、デキスギ、イッセーの四人がやってくる。また、ネット上にはサツキとオジーチャンをはじめとして、他の観客がいる。観客と言えば聞こえはいいが、実際は、休日の昼間におしりを見にくるようなヘンタイである。

 

「みなさん、お集まりいただきありがとうございます。今日は楽しんでいってください。」

自分で言いながら奇妙だと思う挨拶をする。

 

とはいっても、今日の段取りは何も知らない。

すると、イッセーが口を開いた。

「じゃあ、まずこちらで着替えてください。」

そう言って、イッセーとデキスギがフェイスタオルの両端を持って出てきた。広げたフェイスタオルでギリギリ局部を隠して着替えろ、ということらしい。

「マジで!?ここ数年で一番恥ずかしいわ!」

オレはTバック一枚に着替えた。

「じゃあ、ちょっとカメラのセッティングするんでこれ着て待っててください。」

と言われ、バスローブを着て、待機する。

Tバック一枚にバスローブ……。別の撮影がはじまりそうである。

 

待機時間にオンラインで見ている人たちを見てみると、様々な人たちがいる。酒の肴に見ている人、親子で見ている人もいた。子どもの教育上どうなのだろう……?

 

「準備できましたー。」

デキスギが呼ぶ。

言われた場所に立つ。

さらに、寄りでおしりを撮られる。

「それじゃあ、今からみんなでおしりを描いていきましょう」

それを合図にみんなが一斉に描きはじめる。

 

突然、イッセーが口を開いた。

「全然、関係ないんですけど、手を頭の後ろに持っていって、ポーズ取ってください。」

「関係ないなら嫌だよ!」

次はオジーチャンが言う。

「こういう時のために、絵をちゃんと勉強しておけばよかったなって思う。」

「もっと、別のことに使った方がいいよ。」

親子の会話が聞こえてくる。

「この人はね、みんなに描かれるために、おしりを鍛えたんだよ」

 

 

二十分程経過した。

「じゃあ、そろそろ、ヤヨイさんに描いてもらいたいと思います。」

そう言われ、ブルーシートがひかれ、その上にうつ伏せになる。

そして、おしりに筆が入れられる、

 

「そこっ!?」

 

わけではなかった。最初は腰から描かれた。驚きのあまりマヌケな声が出てしまった。

 

そのまま勢いよく描き進めていく。

オレはふと疑問に思い、ヤヨイに尋ねる。

「これって落ちるんだよね?」

「たぶん、落ちます。」

「たぶんってなんだよ!」

「一生そのままでもいいんじゃないんですか」

「いいわけあるか!それをタトゥーって言うんだよ!」

オレのことをみんなが笑いながら見ている。

 

突如、「おぉ〜」という歓声が上がる。

オレにはなんのことかさっぱり分からない。

「はぅっ!!」

股の間、際にまで筆が入り、自分の口からはじめて聞く音が出る。

 

「そんな広範囲に描かれるの!?」

ふくらはぎに描かれたとき、思わず言った。

それを見ていたサツキが

「こういうお猿さんいますよね。」

という、よく分からないことを言っていた。

 

今度はイッセーが、使ってない筆を持ってオレの前に立った。

次の瞬間、オレの顔に、ネコのもののような赤いヒゲを描いた。

「何してんの!?」

「やっぱ、イケメンっすね!」

「そう言ったらなんでもいいわけじゃねぇからな!!」

 

デキスギは、黙々と、記録用カメラでの撮影を続けている。

 

 

「できました!」

ヤヨイが言った。拍手が起こる。

そして、台に上り、最後のポーズをとる。

「カッコイイ!!」

「スゴイ!!」

次々と聞こえてくる。

「宇宙に抱かれてるっていうイメージで描きました。」

とヤヨイが話している。

「ケツかっこいいな〜。」

しみじみと言う声も聞こえる。

「こんなフィギュア欲しい。」

「三十分くらいそのままで。」

好き放題言う声も聞こえる。

 

オレは首を傾け、鏡に映った自分の後ろ姿を見た。

それは、背中から腰、脚にもカラフルに描かれていたが、おしりにだけ何も描かれていなかった。

 

オレは、自分のおしりがはじめて輝いて見えた。

 

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 これは杉浦巌さんの企画<おしり描き>を小説化させていただきました。

当日の様子はコチラから見ることができます。

ぜひ、見てみてください!

また、こちらは井上美都さんの自転車日本一周の旅の応援資金として寄付されます。

https://oshirico3.thebase.in/items/30578991

ストレストイレ

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これがこの世界のトイレのマークである。手書き感が温かみを出している。

名称は左から、男子トイレ、女子トイレ、そしてストレストイレである。

ストレストイレとは、ストレスを発散するためのトイレである。これは、不況や度重なる災害、ウイルスの流行などにより生活が変えられてしまい、強いストレスを感じる人が急増したため政府が主導で開発したものだ。政府には他にやるべきことがあるのではないのだろうか?

 

ストレストイレは個室で区切られ、見た目は和式のトイレと同じものが一つずつあるだけである。使用方法は、その個室に入りストレスを感じていることを言う。その個室は完全防音になっているのでどれだけ大声で叫んでも外には全く聞こえない。すると、便器の中の水にストレスが溶け出し、黒く染まる。言い終えたら、他のトイレと同じようにレバーを押して流す。こうして、ストレスを水に流すのである。

 

 

「なんで、人が本を読んでる時に話しかけてくるんだよっっ!!!めちゃめちゃいいとこだったのに、遮りやがってぇっっ!!!しかも、内容が『スイパラ行く?』って行かねぇよ!!!それで断ったら、『ノリ悪い』とか『空気読めよ』とか好き放題言いやがって…。第一、こっちの空気読まないで話しかけてきたのはそっちだろうがぁぁっっ!!!あとは、大塚のやろう、校内にスマホ持ち込み禁止だって言って見つけたら没収するくせに、自分は教員だからって使いやがって……。それに、今時スマホ持ち込み禁止って、時代遅れにも程があるだろっっ!!!」

 

みなさん、安心してください。これはストレストイレの個室の中の出来事です。

 

高校二年の石田雄介は、毎日、一日のストレスを学校のストレストイレで吐き出してから帰っている。今日も、思う存分ストレスを吐き出した。雄介は便器の中の環境問題になりそうなほど黒い液体を見つめる。そして、思いっきりレバーを押し下げ、それが轟音とともに流されていくのを最後まで見とどける。ここまでがルーティーンだ。

 

 

雄介は足取り軽く学校を後にした。駅に向かうため、この長い長い下り坂を降っていく。

 

坂を下り切った時、目の前に百メートル程、老若男女問わず並んでいる行列があった。

 

(なんだ、これ?昨日まではこんな行列なかったはず……)

 

並んでいる人の話し声が聞こえる。

「トイレまだかよ~!」

「全然、進まねぇ~な~!」

 

みんな、イライラしている。どうやら、ストレストイレに並んでいるらしい。

 

ちょうど、駅の方向と同じだったため、列の横を歩いて行った。すると、その列は交差点に面して新しくできたデパートの中から伸びていた。

 

(デパートから溢れるくらいのストレストイレ渋滞!?一体、なんでこんなことになっているのだろう?)

 

その答えはすぐに分かった。

 

そのデパートの外壁に、信号待ちをしている時に見えるように、大きなスクリーンが取りつけられていた。今、そこには夕方のワイドショーが流れている。芸能人の不倫のスキャンダルについて、顔に怒りの表情を貼りつけた人間がコメントをしている。それが終わると、次は、身なりをととのえた女性アナウンサーがロボットのようにニュースを読み上げる。

飲酒運転による交通事故、外国の銃乱射事件、国会議員の公職選挙法違反……。ネガティブなニュースが濁流のように押し寄せてくる。

 

信号が青に変わると、雄介は数十人とすれ違った。

 

後ろを振り向くと、その列はさらに伸びていた。